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Résonances2007


No.4 目次
Résonances2006


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Résonances2004


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Résonances2003


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Résonances2002

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Résonances
[第5号] 2007年
論文

大原 宣久 自伝と精神分析 — ミシェル・レリス『フルビ』読解  

中田 健太郎 シュルレアリスムの時間性 — アンドレ・ブルトンとマルセル・デュシャンの言語論  

篠原 学 「非–参加」から「はじらい」へ — ミラン・クンデラを読む  

鵜戸 聡 宿命のネジュマ — カテブ・ヤシン論序説  

坂口 周輔 何ものでもない形象 — マラルメのワーグナー論をめぐって  

谷本 道昭 不純なジャンルのために — バルザック、コント作家の肖像  

数森 寛子 「蝕む」とは何か — ヴィクトル・ユゴー『海に働く人々』をめぐって  

坂本 さやか 歴史の語りと王権のスペクタクル — ミシュレの『フランス史』における入市式と聖史劇  

南 玲子 近代的学問としての国民性研究に向けて — モンテスキュー『法の精神』と後継者たち  

中村 督 フランスにおけるニュース週刊誌の発刊 — 『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』における「発見」の時代について  

竹本 研史 ただ祈り続けること — ジャン=ポール・サルトルにおける他者からの眼差しと他者への祈り  

藤岡 俊博 環境世界の彼方 — レヴィナスの「場所」の思想と人文地理学  

石川 学 回帰する死のために — ジョルジュ・バタイユと精神分析  
研究ノート

尾玉 剛士 フランスの福祉エリート — 医療制度改革への認知的アプローチ  

森元 庸介 思惟の罪 — ラカンによるサドについての覚書  

鈴木 順子 「虚無の信仰」認識を超えて — S・ヴェイユが読む鈴木大拙  
クロニック

数森 寛子 記憶と虚構 — ピエール・プレヴェール『渡し守の家』  

中田 健太郎 ミシェル・オスロ『アズールとアスマール』における水平運動  

尾玉 剛士 書評『メディアのヴェール イスラム・スカーフ事件という誤った論争』  

大森 晋輔 「書く」と「描く」のあいだに — 2006-2007年、ロンドン・ケルン・パリで開かれたクロソウスキー展によせて  

澤田 哲生 スタッドのある風景II — セバスチャン・ルイ『イタリアのウルトラス現象』を読む  

神山 剛樹 日常生活の中の音声学  

竹本 研史 リリアン・テュラムの闘い — 人種差別の問題とアイデンティティの問い  

郷原 佳以 文学、この「ほとんど何でもないもの」 — ドミニク・ラバテ『破れ鍋』によせて  

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[第4号] 2006年
論文

数森 寛子 水没への反抗 — ヴィクトル・ユゴーとその時代における洪水のイメージをめぐって  

橋本 一径 モルグから指紋へ — 19世紀末フランスにおける科学捜査法の誕生  

大辻 都 名前のない物語は続く — マリーズ・コンデ『移り住む心』  

石橋 正孝 カニバリズムの修辞学 — ジュール・ヴェルヌ『チャンセラー号』の成立事情、エクリチュール、そしてイデオロギー  

安藤 智子 アルフォンス・ルグロ作《エドゥアール・マネの肖像》 — 絵の中の絵が語るもの  

治山 純子 フランス語の感情表現の概念化 — 恋愛に関するメタファー表現の研究  

酒井 智宏 個体間の同一性を断定するトートロジー  

佐藤 朋子 精神分析の心理学化と〈体験されたもの〉の閉域 — ダニエル・ラガーシュによる二篇のカール・ヤスパース論(1941、1942年)  

坂本 さやか ファンタスマゴリーと政治的偶像 — ミシュレの『19世紀史』におけるナポレオンの表象をめぐって  

谷本 道昭 若がえりの泉 — バルザックによるラ・フォンテーヌ  

横山 義志 虚構と韻律 — 近代人はいかにして脚韻の正統化に成功し、まさにそのことによって脚韻を失っていったか(1548-1826)  

塚島 真実 「精霊」への序奏、あるいは助走 — ランボーにおけるイエスの諸相  

森元 庸介 救済と籠絡 — マルブランシュにおける説得  

藤岡 俊博 「未開」心性と異教 — レヴィナスのレヴィ゠ブリュール読解  

園部 裕子 「人を助ける」という生き方 — 西アフリカ出身女性仲介者のライフストーリー  

藤田 省一 プルーストと「19世紀」 — 作品の「完成」と批評の事後性  

石川 学 書くことをめぐるパラドクス — ジョルジュ・バタイユと『失われた時を求めて』  

竹本 研史 絶対性の彼方にある個人主義 — サルトル思想における個人の実践と自由との関係  
研究ノート

大森 晋輔 魂はどこに? — クロソウスキーと精神分析  

中田 健太郎 アンドレ・ブルトンにおける自動記述とコラージュ — 方法概念の余白について  

大原 宣久 競馬場の文学者 — ミシェル・レリス「スポーツ年鑑」をめぐって  

坂本 浩也 表象と言説としての文学 — 戦争文化史の観点からプルーストを再読するために  

荒原 邦博 ルーヴル美術館をめぐる想像 — ゾラの『居酒屋』からプルーストの『失われた時を求めて』へ  
クロニック

園部 裕子 「希望」という名の「勇気」 — センベーヌ・ウスマン『モーラーデ(庇護権)』によせて  

郷原 佳以 方法のポエティック — ブリュノ・クレマン『方法の物語』に寄せて  

藤田 省一 フルバック、あるいは失われた時空間を求めて — 2007年第6回ラグビー・ワールドカップのために  

竹本 研史 掛け声の不協和音 — パトリック・ミニョン『サッカーの情念』から見た庶民感情と経営者の論理  

満島 直子 身体異常をめぐる思考 — アンドリュー・クラン『崇高な無秩序 ディドロの宇宙における身体的怪物』によせて  

澤田 哲生 スタッドのある風景 — クリスチャン・ブロンベルジェ『バガテル』によせて  

谷本 道昭 旅と文学
ジャン゠フィリップ・トゥーサン『フュイール』の余白に
 

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[第3号] 2004年
論文

満島 直子 ディドロの《自然誌展示室》補遺  

橋本 一径 人相書きの科学 — アルフォンス・ベルティヨンの「口述ポートレート」  

工藤 晋 エドゥアール・グリッサン『第四世紀』読解 — 語り手たちの弁証法  

小澤 京子 テオフィル・ゴーティエ、視覚の技術  

南 玲子 「これは小説などではない」 — 『イタリア年代記』三短編に見る、スタンダールの人間研究の行方  

酒井 智宏 役割関数の構造 — コンテクストと役割解釈の可能性  

森元 庸介 真摯なる検閲 — 「カファロ事件」について  

阿部 明日香 1889年:印象派とパリ万国博覧会をめぐって — 美術とその制度に関する試論  
研究ノート

荒原 邦博 画家小説と精神医学 — ゾラの『制作』からプルーストの『失われた時を求めて』へ  

藤田 省一 墓は至るところに — 『失われた時を求めて』に引用されたマラルメのソネについて  

郷原 佳以 「マラルメの神話」、あるいは、言語の虚構としての詩 — ブランショによるマラルメ  

小泉 順也 シャルル・ブラン『全流派画人伝』と西洋美術史における「画人伝」の系譜  

福間 美由紀 P・シニャック『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派まで』における新印象派論再考  

松沼 美穂 植民地支配の歴史と現在 — 「母なる祖国」を守った元フランス軍兵士への恩賞をめぐって  

金山 準 ジョルジュ・ソレルにおける歴史と「ユートピア」  

千葉 雅也 動きすぎてはいけない — ジル・ドゥルーズと節約  

笠間 直穂子 関係の探求 — マリー・ンディアイユの文学  

澤田 哲生 スポーツを記述する方法の問題 — クリスチャン・ブロンベルジェ『フットボールの試合』によせて  
クロニック

大原 宣久 叫びと人間 — 「フランシス・ベイコン 聖と俗」展をめぐって  

森元 庸介 惑乱のステップ — 『ダンシング』について  

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[第2号] 2003年
論文

三枝 大修 鏡張りのテクスト空間 — 『マルドロールの歌』における二重性の諸相  

大辻 都 不可能なもの、肥沃なもの — マリーズ・コンデ『マングローヴ渡り』と植物的人間たち  

横山 義志 朗誦の記譜可能性について — ドラマにおける音楽の排除  

伊藤 綾 歴史主義と現代性 — ボードレールにおける「折衷主義」と「哲学的芸術」の批判  

南 玲子 観察の旅と研究者 — フランス民族学の黎明期  

坂本 さやか ミシュレの『フランス革命史』におけるファンタスマゴリー — 「九月の虐殺」の記述をめぐって  

神山 剛樹 二つの「国語」のはざまで — アルザスの仏語と独語、台湾の日本語と「國語」  

小野 文 「ことばにおける主体性」を巡る二つの発話行為論 — シャルル・バイイとエミール・バンヴェニスト  

酒井 智宏 フランス語における3種類のavec NP XP構文  

郷原 佳以 プロソポンとしての形象 — ブランショ『望みの時に』より  
研究ノート

泉 美知子 19世紀におけるロマネスク建築観 — メリメからヴィオレ=ル=デュックへ  

安藤 智子 アルフォンス・ルグロとプリミティヴ派 — ディジョンへの郷愁  

宮坂 奈由 カイユボット絵画における都市細部の表現:《パリの通り、雨》  

園部 裕子 「語る」ことと社会参加 — 女性移住者の潜在能力と団体活動の機能についての試論  

折方 のぞみ 祖国を棄てた愛国者「ジュネーヴ市民J-J・ルソー」  

隠岐 さや香 18世紀の科学、技術と国家 — コンドルセの社会数学からみえてくるもの  

大原 宣久 ミシェル・レリスとアフリカ人女性 — 『幻のアフリカ』から『フルビ』へ  

佐藤 朋子 「アナセミー」と時間の問題 — ニコラ・アブラハムの初期業績のクロノロジカルな分析  

大森 晋輔 「神の死」の遊戯 — バタイユを読むクロソウスキー  

近江屋 志穂 揺らぐ境界 — アニー・エルノーの日記とフィクション  

竹内 京子 聴覚障害者のための手指サイン日仏比較  
クロニック

森元 庸介 闇を登る — ダヴィッド・B『癲癇の発作』について  

笠間 直穂子 「アフリカ」の向こう側へ — ヤンボ・ウォロゲム『暴力の義務』  

伊藤 綾 今さらなぜユートピアか? — ミゲル・アバンスール『ユートピア—トマス・モアからヴァルター・ベンヤミンへ』を読む  

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[創刊号] 2002年
論文

郷原 佳以 無気味な類似 — ブランショにおけるイメージ  

西山 達也 必要なる響き合い — マルティン・ハイデガー「人間主義書簡」への導入  

阿部 崇 フーコーの考古学における「身体」の位置づけについて  

國分 功一郎 歓待の原理 — クロソウスキーからフーリエへ  

堀 潤之 断片・機知・イロニー — ゴダールとドイツ・ロマン主義1  

熊谷 謙介 「自然は起こる、付け加えるものはない」 — ステファヌ・マラルメの「印象派の画家たちとエドゥアール・マネ」  

泉 美知子 宗教建築の生とは何か — プルーストとバレスの文化遺産保護運動  

大辻 都 アンティルの母をめぐる多元的外部論 — マリーズ・コンデ「栗の実とパンの実」「ノー・ウーマン、ノー・クライ」  

鈴木 順子 ディオニュソスとは誰か — シモーヌ・ヴェイユによる比較宗教学的考察の試み  

折方 のぞみ 18世紀後半のフランスにおける女性の身体の表象  

荒原 由紀子 科学と宗教のはざまで — 『ブヴァールとペキュシェ』の地質学探究  

久保 昭博 ミメーシスと虚構 — ケーテ・ハンブルガーとジェラール・ジュネットによるアリストテレース『詩学』の解釈について  

石橋 正孝 表現行為としての編集 — ピエール=ジュール・エッツェルの場合  

小野 文 フロイトの読者、バンヴェニスト  

笠間 直穂子 文学のまえに — 18世紀末から19世紀中盤にかけての文法と教育  

坂本 浩也 メディオロジー生成のコンテクスト
(1979–1996年を中心に)
 
研究ノート

伊藤 綾 北極光について — フランス初期社会主義ユートピア思想の精神史的読解  

荒原 邦博 1889年のマネ — 『ゲルマントのほう』における万国博覧会  

陳岡 めぐみ 19世紀の複製エッチングへのアプローチ — レオン・ゴシェと絵画のためのイメージ戦略  

松沼 美穂 本国と植民地の出逢いの場 — ヴィシー政権の帝国祭典  

園部 裕子 国民国家・福祉国家の変容 — アフリカ系女性移住者の連帯による問いかけ  

坂本 さやか 19世紀の視覚文化と文学  
クロニック

森元 庸介 想起と作品 — 『ペルセポリス』について  

笠間 直穂子 笑い止む瞬間 — 作家としてのアルフォンス・アレー  

大原 宣久 恋と革命の周辺で — エリック・ロメール『グレースと公爵』について  

阿部 崇 新たな「音楽」の到来 — サイモン・ラトルとベルリン・フィル  

神山 剛樹 Ronaldoと「ロナウド」 — 音変化と借用語表記