2022年度TLPフランス語春季研修(リヨン・パリ)報告(上)

研修1日目(2023/2/6)

フランス語TLPの、文科一類一年の南原涼です。今回は、出発までの話や羽田からパリに行くまでの話をしようと思います。移動がメインでフランス要素は少ないですが、出発の簡単な流れがわかるかと思います。

出発の数日前までAセメスターの試験があるので、パッキング等、事前の準備がギリギリの人が多かった印象です。また、出発前一週間前くらいからオリエンテーション含め、研修における発表用の資料収集やプレゼン作成が始まったので、渡航前はかなりバタバタしていました。また、個人的な話ですが、研修中はアルバイトや習い事に行けないので研修前にかなり詰め込んだのもあり、僕は準備が全体的に遅くなってしまいました。とはいえ、必要なものを把握、もし所持していない場合は購入する予定を立てるくらいのことは行なっていたので当たり前ですができる準備は可能なら早く完了させておくのが賢明でしょう。

出発当日の話に移ります。行きのフライトは出発が23:30で集合は20:00でした。僕は家出るのが予定より遅くなってしまったのに加え、フランス使うのレンタルのWi-Fi(Global Wi-Fi) の受け取り場所が少々わかりずらかったので集合に遅れかけましたが、しっかり間に合ったのでよかったです。また、今思い出したのですがある生徒がリムジンで向かっているという報告を受けて勝手に「めっちゃセレブやんっっ」と勘違いして、両親にリムジンバスのことを指してるのだと教えて貰ったというお馬鹿エピソードがありました(笑)ちなみに、僕以外にももう1人同じことを思った人がいてなんだか安心しました。搭乗の手続きをした後は、時間が遅いのもあり空いている店がほぼ皆無だったので、集合前に夕食を食べておけばよかったと後悔しました。(結局自販機で軽食購入しましたが、なにしろ空港のお値段なので。)飛行機搭乗前に時間があったので、他の生徒と懇談しながら長いフライトに備えて柔軟マッサージをしました。

機内では、離陸後少しして夕食が出され、しばらくして消灯の時間になりました。映画を見ようと思ったのですが、睡眠のことも考えて音楽を聴くことにしました。予想していたよりもはるかに選択肢が豊富で選ぶのにも時間を要して余計な体力を使った気がするので、なるべく快適なフライトのために事前に機内で行うことをある程度具体的にしておいた方がいいかもしれません。搭乗員の方には、フランス語で挨拶された後すぐ英語で話始めるので、ほぼ英語で会話をした感じです。ただ、機内アナウンスはフランス語が多く使われていて、いよいよフランスに行くんだという実感が湧きました。余談ですが、機内アナウンスの話しっぷりが、TLPの授業で普段使用しているmanuelの音声と酷似していて試験が機内で始まったのか錯覚するようで面白かったです。

以上が一日目の報告となります。2日目以降もお楽しみに。

 

研修2日目(2023/2/7)

こんにちは。文科一類1年の安部正健と申します。私は、パリのシャルル=ド=ゴール空港に到着したあとの研修1日目の報告を担当させていただきます。

羽田空港を夜に出発した私たちは、15時間以上の時間のフライトを経てやっと到着しました。しかし時差の関係で、パリに到着したのは朝6時台、まさにこれから一日が始まろうとしているときだったので、不思議な感じでした。緯度が高いパリでは明るくなるのが日本に比べて遅かったのですが、そのおかげで夜が明けるのを見ることができました。朝日が特にきれいでした。

シャルルドゴール空港に到着したあとは、すぐにリヨン行きの飛行機に乗り継ぎました。リヨン行きの飛行機に乗り込むとき、搭乗口で並んでいると、≪ça caille≫(寒い、という意味の口語)が聞こえたので、フランスに来たのだという実感がわきました。

図 1 パリCDGでの乗り継ぎ

飛行機の席で私たちの隣になったフランス人の女性が、機内アナウンスの説明をしてくださり、ストライキの影響で離陸が遅れていることを教えてくれました。それでもちゃんと飛行機は出発したので安心しました。

1時間程度の短いフライトでリヨンにつきました。空港に到着する前に上空からみたリヨンの街並みの印象は、屋根が赤い、ということです。蛇行して流れるローヌ川と、建物が密集した市街地の様子を早く地上からも見てみたくなりました。

リヨンの空港から、リヨン市街地へはローヌ=エクスプレスという電車を使いました。見た目は路面電車のようで、実際路面を走るのですが、かなりのスピードをだすので驚きました。何分か電車に揺られたのち、終点の駅に着きました。この近くに、リヨンで私たちが泊まるホテルがあるはずです。そう考えて、私たちは大きいスーツケースを引きながらドリブル先生についていきました。しかし、順調にはいきません。合計で2回も、「同じ系列だが予約したものとは違うホテル」に入ってしまい、3度目でようやく正しいホテルに到着することができました。ついた時には安心するとともに、歩いたことによる疲れを感じました。しかし、まだ昼です。食事の予約に遅れてしまいそうだったので、スーツケースをホテルに預けて、そのまま昼食を食べに行きました。

記念すべきフランスでの最初の食事は、ガレットでした。ガレットとは、ご存じの方も多いとは思いますが、そば粉のクレープです。日本のクレープとの大きな違いは、味にあります。ガレットは甘くはなく、むしろ塩味で、スイーツではなく食事として食べます。私はほうれん草と卵、ハムが入ったものを選びました。軽めの量と味で、少し疲れている体にはとてもおいしかったです。ドリブル先生は、シードルというリンゴ酒を飲んでいました。香りだけかがせてもらいましたが、おいしそうでした。

図 2 ガレット

昼食をとった後は、リヨン市内の散策をしました。La Place Bellecour という中央広場には観覧車がありました。また、旧市街に入るために橋を渡っていると、ある女性に声をかけられて、どこから来たのかや、どれくらい滞在するのかなどをきかれました。そのあと、リヨンの歴史や地理について少し説明してくれました。完全に理解できたわけではないですが、翌日、その説明の重要な部分が、訪れた教会でいただいたパンフレットの説明により明らかになります。そのため、2/8分の報告も楽しみにしていてください。そのやりとりの中で私の記憶に最も残っているのは、その女性が丘の上に立った電波塔を指さして、リヨンにもエッフェル塔があるよ、ちゃんと覚えておいてね、と冗談で言っていたことです。冗談を理解することができたのが、嬉しかったです。

図 3 ソーヌ川

リヨン市街地の古い部分は少し高い場所にあるので、長い階段を上りました。階段の上から見た街の景色はきれいでした。特に雲がひとつもない快晴だったので、すばらしかったです。しかし丘にはまだ上があったので、それは翌日以降のお楽しみとなりました。

さて、そろそろ夕方に近づいてきましたが、ここで私たちは初めてフランスで地下鉄に乗りました。日本の電車のほとんどは、行先によって値段が違いますが、リヨンの地下鉄は、一律料金でした。本日最後の目的地は、このリヨン滞在中に発表をすることになる、リヨン第三大学に、一回目の訪問をすることです。

リヨン第三大学では、会議室のような部屋で、リヨン第三大学の先生と学生二人が歓迎をしてくれました。私たちは互いに相手の言語で自己紹介をし、なぜフランス語を学んでいるのかも説明しました。また、リヨン第三大学の先生が手作りのお菓子をふるまってくれたのですが、それがとてもおいしくて私は5つも食べてしまいました。

図 4 リヨン第三大学

リヨン第三大学をあとにし、いよいよ待ちにまった夕食に向けて、市街地に移動を始めました。歴史ある建物がライトアップされていたのと、街の明かりが川に映っていたのが、幻想的でした。古い建物がきれいにライトアップされている姿はなかなか日本の街中では見ることができないためより美しく感じました。

図 5 夜景①
図 6 夜景②

夕食としては、予約していた店になぜか入ることができなかったので、隣の店に入りました。この日以降リヨンのどのレストランでも見ることになる、salade lyonnaise(リヨン風サラダ)や、tarte à la praline(プラリーヌのタルト)を初めて食べました。フランスのフランス料理は量が多いのです。日本だと「フレンチ」は量が少ないイメージがありましたが、デザートを食べ終わるころにはおなかがいっぱいでした。

図 7  tarte à la praline

1日目から貴重な経験をたくさんすることができました。時差や移動があって、非常に長い1日に感じられました。ぐっすり眠って翌日に備えようと思います。

 

研修3日目(2023/2/8)

Bonjour ! 文科一類の峯岸です。

研修3日目、2月8日の報告を担当させていただきます。

本日は、昨日の午後時間が足りずに断念した大聖堂やローマ時代の劇場跡などを訪問した後、午後は印刷博物館を訪問しました。

朝食はホテルの近くにあるカフェでとりました。これほど大人数の団体が訪れることは想定外であったようで、クロワッサンやパン・オ・ショコラが途中でなくなってしまいました…店員さんがランチ用のパンを特別に出してくださるなど、丁寧に対応してくださいました!(この研修中トラブルに見舞われた際にフランス語力が一番訓練されたように感じます…)

朝食後は Vieux Lyon の市街地を散策しました。一般の方のお家の中庭を通って反対側に出ることができる traboulle と呼ばれるパサージュを通るなど、現地の昔からの生活を伺うことができて面白かったです。

その後、200段以上(細かい段数は数えていましたが忘れてしまいました)の階段を必死に登り、Notre Dame de Fourvière に到着しました。大聖堂の中に入ると日本語の冊子などもあり観光客向けのものも多い一方で、祈りを捧げている人も見られました。入り口の上に大きな絵があり、その解説を読むと昨日橋で出会った女性の話してくださったことの内容がよくわかりました!

女性が言っていた Marie というのはこの絵の中央にいる女性で、足元に跪く女性が象徴しているリヨンの街を守っているのだといいます。14世紀、ヨーロッパをペストの大流行が襲った際、リヨンの街の責任者たちは、街がペストから守られるのならばフルビエールの丘に巡礼に登るという誓いをたてたそうです。そして現在でも人々はこの丘をマリーの丘として大切にし、巡礼するのです。現地に伝わる逸話を教えてくださった女性の方には感謝しかありません!

大聖堂の後はローマ時代の劇場の跡地を見学しました。当時VIP席とされていた場所を説明する看板があり、今は石しか残っていなくとも当時は煌びやかな生活があったのだということに気付かされました。

お昼ご飯はリヨン第3大学の学生の方々と Pimpon という、日本人の女性が経営しているレストランでいただきました。お店の向かい側に消防署があることからついた店名であるそうです。ここで私たちは豚肉とかぼちゃのカレーライスをいただきました。ライスはヨーロッパでよく出てくるインディカ米ではなく普段日本で食べているものと同じようなモチモチのお米で、とても優しい味がしました。フランス人の女子学生二人と同じテーブルで食事をしたのですが、日本語とフランス語を交互に用いながら将来や趣味の話をすることができ、楽しい時間でした。

食後は川沿いを歩いて Musée de l’Imprimerie et de la Communication graphique (印刷博物館)を見学しました。活版印刷機のレプリカや金属活字で印刷された世界最古の書物などをみることができ、世界史とのつながりもありとても興味深かったです。活版印刷の印字風に自分の名前を印刷できる機械もあり、フランス人の子供に混じって私たちも楽しんでしまいました。ドリブル先生がフランスにおける印刷の歴史について解説してくださったので、より理解が深まりました。

夜ご飯のメニューは昨日のレストランとかなり似ていましたが、日本のフランス料理店ではあまり目にしない料理がたくさんありました。前菜はポーチドエッグ・ベーコンに赤ワインのソースがかかった Œufs en meurette という料理をいただいたのですが、ワインの酸味が残っていて少し大人の味でした。メインのピスタチオの入ったソーセージそしてデザートのプラリンのタルトはともにリヨンの名物であるそうです。料理は全て美味しいのですが量がとても多いので毎日このペースで食べていたら胃がもたれてしまう危険性も少し感じました…

明日はついに研修初のTLP生によるプレゼンがあります。実は私は明日のプレゼン担当なので今日一日緊張していました…どの班の人も自由時間にホテルの部屋で原稿やスライドを修正したり原稿を覚えたりと準備に取り組んでいます!明日も良い1日となることを願いつつ、8日のブログを閉めさせていただきます。

 

研修4日目(2023/2/9)

こんにちは、9日のブログ担当の小野栞奈です。

フランスの大学は日本よりも早く8時に始まります。そのため今朝の集合時刻は7時と早く、ホテルで朝食をとりました。12,90€で少し高めでした。

リヨンの早朝はとても寒く、-3℃程度でした。リヨン第3大学の建物はもともとタバコ工場で、太い柱や工場管理人の旧住居など、工場が使われていた当時の構造が残っており、歴史を感じさせる趣のあるキャンパスでした。東大の本郷キャンパスに雰囲気が似ているように感じました。

キャンパスに入ると、多くの学生が中庭や廊下に集まって会話を楽しんでおり、活気にあふれて自由な雰囲気でした。教室では日本語を勉強している学生たちが温かく迎えてくださり、グループ活動でも積極的に発言することができました。

最初に SDGs に関する発表を行いました。現地学生は私たちの発表を熱心に聞いてくださり、特に霞堤や町内会といった日本独自の防災方法に興味を示していました。続くグループ活動では、SDGs に向けた日本とフランスの取り組みについて情報を交換し、プレゼンテーションを行いました。リヨンの学生は各々の専門分野について調べたことを紹介してくださり、言語学習にとどまることなく、内容としても充実した発表を行うことができました。

続いて、学生と一緒に学食で昼食をとりました。学食のシステムは東大の駒場キャンパスのものと同じでしたが、リヨンのほかのレストランと同様に無料のパンを好きなだけ食べられる点に文化的な違いを感じました。食事中はリヨンの学生生活や将来の展望などについて話し、フランス語の練習になると同時に現地の大学生の在り方について知るきっかけにもなりました。

Musée des Confluences という美術館を訪問した後、ホテルの近くにあるビストロで夕食をとりました。私は焼いたチーズの載ったオニオンスープ、内臓のグラタン、チョコレートパフェのようなものをいただきました。28,90€と少し高めでしたがとても美味しく、お店の雰囲気も素敵でした。その後10時前後にホテルに到着し、すぐに眠りました。

 

研修5日目(2023/2/10)

文科1類1年の小寺航太郎と申します。2月10日の報告を担当いたします。

この日はÉcole vétérinaire(獣医学校)を訪問し、私を含むTLP生3人のグループによる「日本におけるSDGs」をテーマとする発表を行い、獣医学校の先生方による発表を聴きました。

獣医学校で SDGs に関する発表をするというのは不思議に思われるでしょう(実際、私も不思議に思っていました)。この背景には、日本ではあまり知られていないOne Health(フランス語ではUne seule santé)という考え方があります。これは、人間の健康、動物の健康、地球環境の健全性の三者は切っても切れない関係にあるので、これらをセットで考えて保護していくために、医学、獣医学、環境対策などの部門が連携する必要がある、という考え方です。そして私たちの発表には、地球環境の保全に関する日本での取り組みを紹介することが求められました。日本ではOne Healthを掲げた取り組みはあまり知られていないものの、SDGs(2015年に国連が採択した「持続可能な開発目標」)を掲げた取り組みは近年大変盛んになっています。そこで私たちはSDGsを発表テーマとすることになったのです。

ちなみに、Sustainable Development Goalsをフランス語に訳すとObjectifs de Développement Durableとなるので、略してODDと呼ばれます。余談ですが、フランス人は英語由来の略称を使うことを好まないようです。国連(英語United Nations)はOrganisation des Nations Uniesの略でONUと呼ばれます。公共の場でよく見かける救命機器のAED(英語Automated External Defibrillator)はDéfibrillateur Automatisé Externe の略で DAE と呼ばれます。英語と似た語彙が使われているのに、名詞を修飾する形容詞や分詞が名詞の後ろに置かれるフランス語の文法の影響で語順が変わるのです。

閑話休題。10日午後、私たちの発表の時間がやってきました。原稿の内容は概ね頭に入れられていましたが、そもそもその内容が期待に応えられているのか、専門家からフランス語で質問をされたときに回答できるのかといった不安は大きく、緊張しました。それでも、なるべく自信を持って話そうと心がけ、予定通りの内容を概ねはっきり伝えることができました。

原稿は手元に用意していましたが、原稿を見る回数をなるべく減らすようにしました。この結果、ただの原稿音読にならなかったのは良かったと思いますが、反省点もありました。単語がすぐ出てこなかったときに「えー」と言ってしまったことです。もちろん発表中の私は無自覚のうちに「えー」と言っていたわけですが、発表後、聴いていたTLP生たちから「えー」が目立ってしまっていたという指摘を受けました。そして、言葉と言葉の間に「えー」が挟まることは、日本語話者にとっては不自然なことではないと思われますが、フランス語話者の場合は、“考え中”は基本的に「うー」のような音で表現されるので、「えー」は不快なノイズになってしまうということを指摘されました。これは指摘を受けるまで意識したことがなかったことで、私にとってとても勉強になりました。私たちの班には同内容の発表をもう一度(2月16日にパリのANSESで)行う機会があったので、そのときには反省を生かして「えー」を意識的に抑えました。

発表後の質問としては、私が紹介した統計(日本人の SDGs 認知度は80%を超えており、約35%は実践意欲が高い、というアンケート調査の結果です)に対し、なぜ認知と実践意欲で割合に大きな差が出ているのかという質問を受けました。私としては、意欲の高い層が約35%というのは十分高い数字と思っていたので、この質問は想定していなかったのですが、冷静に考えれば80%超の認知度との差は気になると思います。自分の考えの甘さを反省し、学術的発表では統計データを適切に使うことが重要なのだと改めて認識しました。質問への回答としては、「SDGs の重要性は多くの人が認識しているが、そこから各人で具体的な実践をしようと思うのは容易ではない」といったことを述べたのですが、さらにその理由を問われると答えに窮してしまい、ドリブル先生(TLP生の引率)が助け船を出してくださいました。なお、ANSESでの発表時には、「日本では SDGs は(個人でなく)企業が取り組むべきものと捉えられがちなのではないか」といった回答をしました。

質問回答の際には、その場で考えたことをフランス語にしようとしたとき、動詞の活用(特に三人称複数)がスラスラ出てこない、という経験をしました。三人称複数は客観的な議論をするときには多用する一方、会話の授業でたくさんやってきた日常会話ではさほど出てこないので、日常会話と別に訓練が必要だと思いました。

さて、私たちの発表の後は獣医学校の方の発表を聴きました。ネズミの駆除などがテーマだったのですが、専門用語も多く私のフランス語レベルではなかなかついていけず、さらにここまでの研修の疲れから体調を崩し気味だったこともあり内容をあまり理解できませんでした。TLP生として大学入学以来フランス語の勉強には力を入れてきたのですが、フランス人の話すフランス語(それも学術的な内容)を聞き取るのはやはりかなり難しかったです。

最後に、獣医学校の写真を2枚ほど紹介して、この報告を締めさせていただきます。

2枚目の写真は学校内の建物の入口ですが、病気の動物が行方不明にならないよう、外側の扉と内側の扉が同時には開かないように工夫されています。

 

研修6日目(2023/2/11)

こんにちは。文科一類1年の平田燿陸(あきむ)と申します。

本日2/11の研修報告は、私が担当させていただきます!

ここから数文字数分で思い出を語りつくすのは至難の業ですので、かいつまんでお話させていただきますね。さてどれくらいの長さになるだろうか。切符は用意できていますか?改札機が君を拒むなら、わたしとチケットを交換しましょう…。

名残惜しきはリヨンのながめ

本日は5日間にわたって滞在したリヨンを発ち、新天地パリへ向かう日であります。ヨーロッパの土を初めて踏んだのがこの地であったこともあり、私にとってリヨンを離れるのはつらく悲しいことです。

リヨンの街並み、特に旧市街の美しさについては、ここまでにほかのクラスメイトが十分すぎるほどに描写してくれていることと思いますが、それでも幾度となくことばにするだけの感動があります。リヨンは美しい。リヨンを花にたとえるなら、ゆりです。白とベージュ、オレンジを身にまとった建物たちのなかに、アクセントをつけるかのように街の要所で繰り返し現れる聖堂の数々。一般の方々が住まうアパートをすり抜けて山上の大聖堂へと我々を導く traboules。ロザリオを象った参道の先にそびえ立つ、フランスの勝利へ祈りを込めて築きあげられた巨大な構造物。その側に控えるローマの円形劇場。風景に溶けこんだメトロの駅。無慈悲にも Albéric だけを載せて走り去る緑の地下鉄…尽きせぬ思いはあふれ出て止まるところを知りません。

それでも、我々は前に進まなければなりません。なぜなら、新天地を切り拓くことによって、また新たな思い出を作ることができるからです。ひたすら後ろを向いて感傷的になっているのは、ガンジス川のほとりで死を待つ老人のようなものです。セーヌ川を遡行してパリを占領するくらいの気持ちで、私たちは(少なくともわたしは)リヨンを後にしたのでした。

TGV(とてもよく・がんばりました・vers Paris)

リヨンを10時頃に出る TGV: Train à Grande Vitesse に乗り、我々は一路パリへと向かいました。TGV というのは日本で言う新幹線のようなものです。二階建て客車の上のほうに腰を下ろしてほっと一息…という間もなく、2時間弱で列車はパリのプラットフォームに滑り込みます。ゲルマン人もびっくりの移動速度ですね?

車中ではみなさん思い思いに時を過ごしておられました。パリでプレゼンをすることになっているグループの班員たちは、休む暇なくコンピュータを膝に鍵盤を鳴らしておりました。かくいう私も、必死で Google Slides に書き込み作業を行っておりました。そう、TGV の車内では Wi-Fi が使えるのです!そのうえ、車内 Wi-Fi の利用登録を済ませたのちに現れるページで、列車の到着時間が確認できるのです!!なんて便利なのでしょう。こんにちの乗客は車窓より小窓をのぞき込んでいる時間のほうが長いということを、みなさんよく心得ていらっしゃる。

車窓から見える風景は、さすが西ヨーロッパとでもいいましょうか、ひたすら広がる平原と局所的な森林で塗りこめられていました。大学入試の際学んだ三圃制農場の残り香が感じられる農地や、森に潜むドイツ軍兵士も縋り付いていたかもしれないような木々の立ち並ぶ様子に、2次元の知識が3次元、さらに高次元へと拡張されていく感覚を抱き、ひそかに感動することしきりでありました。

パリ・来いよ都

さて車輪の下にも100分間、一行はパリに到着しました。時間は昼少し前。パリの曇り空の下、スリへの警戒心を一層強めた14人はガラガラ音を引き連れて歩きます。

パリのTGVの駅舎はハリーポッターに登場する駅をほうふつとさせるクラシカルな建築様式に、近代的なガラス張りの天井を取り入れた、温故知新を体現したような建築でありました。パリ、やっぱりかっこいい。

ガラガラと荷物を引きずり続けるわけにもいかないので、ひとまずパリのメトロでFIAPへ。荷物を預けたのちに、今度は Tour Eiffel に向かって移動を開始します。FIAP というのは、私たちが宿泊していたホテル、ないし寮です。研修旅行でパリを訪れる学生の団体を狙って建設された施設のようで、営業開始は1968年。50年以上もかの地に佇み続ける歴史ある建物なのですが、中はいたって清潔なホテル。部屋の窓を開ければ、路上でサッカーをして遊ぶ子供らの交わす叫び声 en français  が流れ込んできます。

身軽な小ガモがエッフェルへ

14人の団体はエッフェル塔に向けて出発しました。ここでもまたメトロに乗るのですが、このメトロの駅舎がレンガ造りでかわいらしい。橋げたが心配になるほどボロボロのレンガでできているのも愛おしさに拍車をかけます。かわいい駅舎とは裏腹に、メトロの扉はかなり強い力で急に閉まります。リヨンはゆっくり、しかし確実に入口を閉ざすとびらでしたが、パリのメトロは出前迅速問答無用といった趣きで、駆け込む乗客の希望を容赦なく奪っていきます。みなさんも乗車する際は余裕をもって乗り込むようにしましょうね。

エッフェル塔のたもとでバーガーを

エッフェル塔の最寄り駅で下車した集団は、一意専心グスタフのオフィスへ直行…というわけではなく、まずはお昼ご飯を食べに向かいます。その途中で大きな公園を通り抜けたのですが、ここから見えるエッフェル塔は感涙ものです。一般に、対象が観察者より大きければ大きいほど、認識は歪んでいきます。ですが、エッフェル塔からすればアリンコのような私たちでも、この公園からならエッフェル塔と対等に向かい合って対話できるのです。

約束された感動を横目に、Albéric以下14名の子羊たちは本日のお昼ご飯屋さんにたどり着きました。そこで出てきたのはバーガーです。ちなみに、フランス人の店員さんたちは、バーガーのことを英語での発音と同じ音で意味していました。これはフランス語でことばを交わしている最中にも確認できたことです。ドイツに行ったらブルガーになるのでしょうか?ビートルズに訊ねてみたいところですね(ハンブルグ Hamburg à Hamburgerなので)。

La cuisine parisienne の coup をくらった後、1910年の la Seine Inondation の際記録された最高水位の印を目の当たりにして、Lyon 3 で日本語を学ぶ学生たちと行ったODD: les objets de développement durable: Sustainable Development Goals にまつわるセッションで獲得した語彙の有用性を確認しつつ、14人の志士たちはエッフェル塔を目指し驀進します。

エッフェル塔、その向かい側

エッフェル塔が近づいてくる光景を前にして興奮を抑えられない一行は、その前に橋一つ挟んで対岸にある白い巨大なパレスを認めます。エッフェル塔で予約しているガイドとの待ち合わせを鑑みて、一瞬だけその建造物に近寄ることを許可された私たちは、観光客でごった返す通りを押しぬけて、日本語で売りかけてくるテキやさんたちには申し訳ないと思いつつ肩をそびやかして歩みを進め、Palais de Chailliot に駆け寄りました。ナポレオンの命で建造され、ヒトラーも記念写真を撮ったというほどの、帝国の中心にふさわしい居となるよう立派にしつらえてある白妙の宮殿は、今となってはエッフェル塔を望むに最もふさわしいポジションを占める客用の駐点となっておりました。

エッフェル塔, Elle est fermée à cause de la grève

ガイドとの待ち合わせに間に合わせるため、大急ぎで庭園を南に駆け抜ける14使徒は、塔を望む路端で思いがけず落胆を味わう。エッフェル塔はストライキのため、本日入場停止というのだ———ここまで manifestation の直接的な影響を被ることなく1週間近く過ごしてきた私たちにとって、これは市民の叫びによる最初の洗礼である。閉鎖されているのに動いている、エッフェル塔内で斜めに上下するエレベータに恍惚のまなざしを傾けながら、一行はエッフェル塔の足許に立ちすくんだ。予約していたことの埋め合わせとして、エッフェル塔の直下までは入れてもらえるというので、願ってもないチャンスといわんばかりに、我々はセキュリティ・チェックを受け、日本語を話すガーディアンから温かい歓迎を受けて、グスタフ・エッフェルのお膝元へと歩みを進めた。

Albéric のトリビア

7歳の時からエッフェル塔に通いつめ、ツアーガイドにそば耳をたてることで今やエッフェル塔トリビアで学位をとれるほどにまで造詣を深めた Albéric が、13人の迷える学生たちにいくつもの智慧を授けてくれた。このブログをお読みのみなさまにも、この豆知識をおすそ分けしたいと思う。3つだけよ。

まず一つ目。エッフェル塔の中にあるレンジ cuisinière は、パリ中のキッチンで唯一の特徴を持っている。それは何か?

答えは、火を一切使わないという点である。これだけ背の高い建築物の中で火事が起これば、悲惨な事件が起こることは免れない。したがって、エッフェル塔内は火気厳禁なのである。(白抜き文字で回答を記しています。カーソルで文字列を選択することで、読めるようになります。以下蘊蓄の回答はすべて白文字)そうなのですね!!

では次。当代随一の高さを誇ったエッフェル塔だが、高層建築には不安定さがつきものである。風に吹かれて倒壊の危機にさらされる可能性すらある。そんなエッフェル塔は、どのようにして安定したバランスを実現しているか?

答えは、四本の脚の下に砂を大量に仕込むことで、場面に応じた高さの微調整を自動的に行っている、である。ゴムなどよりも耐久性が高く、調達も楽なので、経済的に優れた施策である。すごーい!よく考えますね。なるほど、支持物が細かい粒子でできていればいるほど、柔軟に形を変えることができるというわけですね。構造物はかたい鉄で、足元は砂で作る。これぞ剛柔使いわけているというのでしょう。

次はラストです。エッフェル塔の建築に際して、設計者のグスタフ・エッフェルが出した唯一の条件は、なんでしょう?

答えは、塔の中に自分専用のbureauを置くことです。第二フロアに実際に設けられた彼の事務所は、風に揺られて製図どころではなかったそうですが、自分で計画した高層建築のなかから眺めるパリの姿は格別だったことでしょう。ちなみに、観光客もその事務所跡を覗くことができます。エッフェル塔への入場さえできれば。この話を聞いて、建築を学びたいという意欲がいつにもまして高まってまいりました。わが進振りの行方やいかに。乞うご期待であります。

偉人あてゲーム

エッフェル塔の第1フロアには、フランスに縁のある科学者の名を記した垂れ幕がぐるりと一周掲げてある。理系TLPのおふたりは大興奮、ポワソン括弧のポワソンや、フーコーの振り子のフーコー、質量保存の法則を示したラヴォワジエを見つけては大はしゃぎである。僕らもつられて遠い記号に目を凝らすも、薄暮の視界に映る文字列は意味をなさず、19世紀にこれだけ巨大で、かつ様々な曲線を用いた設計をこなし、すべてを鉄で作り上げたというフランスの技術力に、ただ感嘆の意を覚えるのみであった。

ナポレオンが作った橋をétudiants がわたる

矯めつ眇めつエッフェル塔を眺めたあと、行列はセーヌにかかる橋を渡る。太陽も夕飯に出かけてしまったあと、暖色にライトアップされたエッフェル塔を背景にフォトジェニックな光景が目もあやに繰り広げられる。たくさんの名作が生み出された瞬間であったが、思い出のとびらは半開きのまま、尋ねに応じてこっそりお見せすることにしようと思う。

Le Retour

フランスの国力を誇示する巨大な塔に別れをつげ、メトロでFIAPに帰還するときが来た。この後も我々はいたるところでかの塔と再会を果たすことになるのだが、今はまだ先のおはなし。

みんな疲れているみたい。食事の場で飛び交う会話も、心なしか今日は控えめだ。今日の移動距離は参勤交代並みじゃあなかろうか。外様大名ご一行は、明日に備えて眠りに就いた。

明日はベルサイユ宮殿を訪問します。今度は中に入れるかな…!鏡の間で自分探し、できるといいな…!

このブログをお読みの皆さんも、ドキドキしながらこの先をスクロールしてくださいね!!

リヨンのベージュ色に憧憬を憶えながら

11/02/23 à FIAP, Paris

Akimu. H


以上、この2月に行われた2022年度TLPフランス語春季研修の報告前半でした!後半もお楽しみに!

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